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ムエタイとは?(What's MuayThai?)

ムエタイとは?

ムワイタイが発音的には正しく、日本ではムエタイで定着している。
直訳すると「タイ式の格闘技」となり、タイ式キックボクシング、タイ式ボクシングとも言われる。
両手、両肘、両脚、両膝を用いて相手と戦う。

ムエタイの儀式

ムエタイの試合では、タイ人選手は必ず『ワイクルー』と呼ばれる舞踊を行う。
クルー(師)にワイ(合掌する)する。すなわち「師に礼を示す」という意味。
ワイクルーは「師と両親に礼を示し、自己の競争心を高める」、また「戦いの神に無事と勝利を祈る」のです。
ロープに沿ってリングを一周し、跪いて三度(父、母、師)礼をするのは正式なムエタイでの義務でもある。

ムエタイの歴史

14世紀~18世紀に栄えたアユタヤ王朝は隣国ミャンマーによる侵略の危機にさらされていました。
その時素手で相手を倒すためにあみ出されたのがムエタイの起源とされている。
ビルマの属領とされていた 1584年 頃に、 ナレースワン大王 がビルマとの戦争に勝って独立を回復したのだが、このときには既にムエタイが大きな役割を果たしたとされる。
これが事実なら少なくとも400年以上の歴史があることになる。

ムエタイは男の強さを計る基準として各地で盛んに行われるようになった。
チャックリー王朝に入ってからは、決闘が頻繁に行われ、死者が続出したことから一時禁止に。

1921年には、 第一次世界大戦への参戦のために武器を大量に購入することが必要となってきたため再開。
その資金捻出のために国王 ラーマ6世 がムエタイのトーナメントを開催した。
この大会の試合はボクシングのリング上で行われ、時間も測り、レフェリーも置かれた。
これがスポーツとしてのムエタイの始まりといってよいだろう。

1929年 には、拳の保護のためにそれまで使われていた木綿のひもがグローブに改められ、現在の形に近くなった。
1941に、 ラジャダムナンスタジアム が建設。
1956年に、ルンピニースタジアムが建設。

1990年代末には、これまでリングに上がることを許されなかった女性にムエタイを行うことが認められ、少しずつ女子ムエタイが行われるようになっ ている。
また、ボクシングに対するアマチュアボクシングに当たる存在としてアマチュアムエタイも行われるようになった。
これらはムエタイのオリンピック種 目化を目指すタイの国策だといわれている。
またムエタイの国際化の影響として、近年には本場タイで修行し活躍する外国人選手も目立ってきた。
過去には日本人3人が本場タイの王座を獲得した。

●藤原敏男
●小笠原仁
●武田幸三

最近は日本のK-1やキックボクシング興行に参戦するタイ人選手も多い。

2004年にタイ国プロムエタイ協会が後ろ盾となって、WPMF(World Professional MuayThai Federation)が発足。
WPMFはムエタイの国際的な普及を目的に発足した組織。
伝統的なナーイカノムトン記念日(3月17日)、王妃生誕記念(8月12日)、タイ国王生誕記念(12月5日)などに年間行事として毎年主催興行を開催しており、各地方都市などで認定興行を定期開催。
そのほかにも、ムエタイ2大メジャースタジアムであるルンピニースタジアム、ラジャダムナンスタジアムでも世界戦の認定をしている。
その日本支局が認可された。
WPMF日本支局の局長には、日本から数多くのムエタイ戦士を輩出しているWSRのウィラサクレック会長が選出されたのだ。

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